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弁護士紹介
弁護士 田中 史子(たなか ふみこ)
- 登録年 1999年
- 所属 大阪弁護士会
- 生年 1965年
- 出身高校 金光学園高等学校
- 出身大学 岡山大学
- 出身地 岡山県
幼少期
私は、1965年に岡山県吉備郡真備町に生まれました。一つ下の弟と、両親、祖父母、曾祖母の7人家族でした。運動が苦手で、一人で本を読むのが大好きな子どもで、小学生の頃には、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズや怪盗ルパンシリーズを夢中になって読んでいました。小学校高学年の頃、女性が裁判官として活躍する内容の本(シェイクスピアの「ベニスの商人」を子供向けにしたもの)を友達の家で読ませてもらい、法律家という仕事に興味を持つようになりました。
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金光学園時代
中高一貫制の金光学園に入学し、コーラス部を6年間続けました。中学時代はまじめに勉強をしていましたが、高校生になると理数系の科目についていけなくなり、一気に成績が下がりました。それでもあまり気にせず、毎日、本ばかり読んでいました。当時、作家の吉行淳之介さんに憧れ、自分も小説家になりたいと思っていました。また、江戸川乱歩、横溝正史の小説が大好きで、今でも繰り返し読んでいます。私の岡山の実家から近いところに横溝正史が疎開していたということで、横溝正史記念館があります。
映画も好きで、一人で映画館によく通っていました。高3の時の音楽選択者の発表会では、ピアノでリストの「ラ・カンパネラ」の演奏に挑戦し、毎日、出来る限りの時間をピアノの練習にあてていました。
このような高校生活を送っていたため、受験勉強はほとんどしておらず、一浪することになりました。一浪後の岡山大学の入試問題では、国語の論述で吉行淳之介さんの文章が出題され、大感激しながら回答を作成し、なんとか岡山大学法学部に入学しました。
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岡山大学時代
大学1年生の時には、水泳部に入りました。もともと運動は大の苦手で、大学でも音楽系サークルに入るつもりでした。しかし、たまたま友人に付き添って見学に行った水泳部での激しい練習風景を見て、突然入部することを決めました。毎日ひたすら泳ぎ、ご飯をたくさん食べて寝る、という生活で、タイムは遅かったですが、何度かレースにも出してもらいました。
大学2年生になってからは、水泳部をやめ、政治研究会に所属しました。また、大学生協設立運動に熱心に参加するようになりました。大学の先生方で作られている設立準備会と、学生の準備会が協力し、大学全体に生協設立の声を広めていく活動は、非常に貴重な経験となりました。
大学3年生頃からは、司法試験受験を意識するようになりました。大学に入って憲法を学んで、日本国憲法の内容の素晴らしさに感動し、憲法に規定されている基本的人権が尊重される社会を実現する仕事をしたいと思うようになっていたのです。そのため、大学4年になっても就職活動はせず、司法試験を目指すことを決意しました。
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司法試験受験時代
大学卒業後数年間は、合格した先輩からのアドバイスを受けながら、図書館の自習室等に通って独学していました。しかし、短答試験は合格するものの、論文試験に毎年落ち続けたため、父親からの勧めにより、大阪の受験予備校に通うことにしました。大阪では、すぐに大勢の受験友達ができ、情報交換しながら勉強し、数年後に論文試験に合格しました。ところがその年、まさかの口述試験不合格となりました。自分が口述試験で落ちるとは考えてもいなかったことで、相当落ち込みましたが、この頃、母親からもらった手紙には、「あなたは運がいいので、大丈夫。」というようなことが書いてありました。翌年、9回目の受験で司法試験に合格し、長年心配をかけた両親に合格証書を渡すことができました。
合格後は、司法修習に入るまでの数ヶ月間を利用し、「バーテンダーズ スクール」に通いました。お酒に関する基本的知識や接客の心得、カクテルの作り方等を学ぶことができ、とても楽しい経験でした。スクール修了時、これからバーの経営を始めるという方から、バーテンダーとして働かないかと誘われ、かなり心が動きましたが、司法修習生はアルバイト禁止のため断念しました。
また、この頃、私の大好きな画家である金子國義先生とフランスの美術館をめぐるツアーに参加しました。旅行中は、金子先生から直接いろいろなお話を聞きながら、多くの美術館をめぐることができ、また、この時期でなければ行けなかった旅行なので、思い切って参加して良かったと思いました。
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勤務弁護士時代
2年間の司法修習を経た後、1999年4月に大阪弁護士会に登録し、「伊賀興一法律事務所」(現「伊賀総合法律事務所」)に就職しました。ここでは、刑事事件、少年事件、離婚、相続、破産、交通事故、労働事件、会社関係等の様々な分野の事件を経験しました。
特に印象深いのは、阪神・淡路大震災後、被災者に対する自立支援金の支給において、「世帯主要件」が課されたため、被災後、結婚して世帯主でなくなった女性に支援金が支給されなかったことを憲法14条1項の平等原則違反として争った事件です。原告が勇気をもって訴訟をすることで、社会の制度がかわり、差別が是正されていくのだということを実感しました。
また、他の事件においても、依頼者や支援者の方々と共に訴訟をする中で、様々なことを学びました。もちろん、裁判では常に勝訴するわけではなく、全力を尽くしても裁判所には声が届かない悔しい事件もあります。しかし、それであきらめてしまうのではなく、難しい状況の中であっても依頼者にとっての真の解決を目指して最善を尽くす、という弁護士の姿勢を、勤務弁護士時代の4年半において学びました。
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独立後、現在まで
伊賀事務所に4年半勤務した後、2003年11月に独立し、「田中史子法律事務所」を開設しました。
独立後は、少し時間ができたため、30代後半からクラッシックバレエを習い始めました。長年、座り仕事で、運動不足が続いていたため、体がすっかり固くなっていることが判明しました。まだ、ピルエットもきちんと回れないという段階ではありますが、続けることに意味があると思い、楽しんで続けています。
また、40歳のときに、夫と知り合い結婚しました。結婚後は、体育会系の夫の影響で、ランニングや筋トレをするようになりました。大阪マラソンにも2回参加し、2回とも制限時間ぎりぎりで完走しました。
独立後も、いろいろな分野のご依頼を受けてきましたが、その中でも、特に離婚や、離婚にまつわる様々な問題(財産分与、親権、養育費、面会交流等)についてのご相談やご依頼が多くなりました。そこで感じたのは、家庭の問題と経営の問題は、決して切り離しては考えられないということです。
そのことは、経営者と社員との関係にもあてはまります。
そのため私は、顧問契約にあたっては、業務に直接関係する法律問題についての助言だけでなく、経営者様の思いを共有し、ご家族や社員との関係性も重視した継続的なサポートを行っていきたいと考えています。